人間力研究
第2回 立ち上がるのは自分自身(前半)
思うようにならないのは当たり前のこと。言う事を聞いてくれない、やってくれない他人が悪いのではありません。今ある条件を使って次なる条件を整えていく。その過程そのものが仕事の本質です。だれかがやってくれないから・・ではなく自分がやる。自分がやらせる。自分の方から仕掛けていく。因は外ではなく自分の内にあるのです。
恥ずかしいのですが、私自身の大失敗についてお話します。
私のなりたかった職業は「労働基準監督官」か「焼鳥屋」でありました。生来が勉強嫌いでしたから、「労働基準監督官」にはなれず、「焼鳥屋」ならぬ和食レストランのチェーン店に大学卒第1号として就職しました。まだ、その会社が数店舗しかない頃のことです。そこで、私は将来東京進出を夢見てホール係として社会人の第一歩を踏み出したのでした。
その後、会社も順調に発展して年商15億円程になった27歳の頃、突然社長に呼ばれて新しい店のオープンを任されました。その会社では江戸時代の古民家を移築して店舗にするのですが、私には建築の知識など皆無でしたから、実質的には担当上司が采配を振るい私は小間使い同然でした。そうしてオープンまでの一年間は毎日深夜まで勉強と指示された仕事に追われ、あっという間に翌年6月のオープン日を迎えたのです。
オープン店長として50人以上のスタッフをまとめるのは大変でしたが、何とか予定どおりオープンできました。幸運にも大変な盛況で月間売上の社内新記録も更新しました。
徹底的に効率化され最新設備を備えた厨房、それに見応えのある古い梁や柱が何とも言えぬ趣きを醸し出している客席ホール。マスコミにも取り上げられ、他社や他店からの視察も頻繁にありました。私は上司の指示で動いていただけなのに、あたかも自分ひとりで完成させたがごとく有頂天になっておりました。
しかし、オープンして1ヶ月後、とんでもない失敗を犯してしまったのです。食中毒!!
保健所の係員から緊急連絡があり、食中毒の疑いがあるからこれから立ち入り検査に行くというのです。食中毒を出すなんて私には到底信じられないことですから、何かの間違いだろうと何度も聞きなおしました。しかし、検査の結果、非情にもこの店が原因であることが判明したのです。
連日の大盛況に調理員たちが疲れきっていたところへ、7月の猛暑が重なったのです。直接の原因は割り置きしたうずらの卵。遠因は西向きかつバックヤードスペースを省いた狭い厨房設計で室温が高温になってしまったことでした。あまりにも効率性を重視し過ぎて衛生管理について無頓着だったのです。
50名以上の食中毒患者が報告されている、重症者もいると聞かされて、私はただ呆然と立ち尽くすのみでした。
(次回へ続く)
第3回 立ち上がるのは自分自身(後半)
食中毒発生後、当然に店は営業停止処分となり、会社そのものも倒産の危機に直面しました。
私の名前は連日新聞紙面やテレビをにぎわせ「飲食業のプロとしての責任を問う!」そんな記事まで登場する始末です。当時の新聞には社長の名前が二回ほど載りましたが、それ以外は私の名前だけでした。
「上司の指示で動いたのに・・・何故自分だけ・・・悪いのは調理員じゃないか・・・」
そんな気持でいっぱいでした。
数日後の深夜、店の幹部スタッフを帰宅させた後、私は退職届を懐に入れ営業停止中の暗い店の片隅にひとりポツンと座って天井の大きな梁を眺めておりました。
突然、背後から社長の声が聞こえました。
「今夜が山だそうだ。もし、誰か死んだら書類送検されるだろうな。いいな、俺は、お前にこの店を預けたんだ。ぶた箱へはお前が行って来い。調理師が悪いんじゃないぞ。この店のことはお前がすべて最期まで責任を持て! 会社は俺が責任を持つ。」
その夜は、明るくなるまで社長とともに人生のことや仕事のことを語り明かしました。
さて、その後、幸運にも誰も死ななかったので私は書類送検されることもなく、また、社長が私の退職を認めずに「責任を全うしろ」というので営業を再開いたしました。
思えば、社長と一夜を明かしたあの日を境にして、私は大きく変わったと思います。
あの日以来、自分の責任においてやらねばならないことは、たとえ上司や社長の指示であっても納得できないことは辞表を懐に拒否をするようになりました。仕事もやらねばならないことが山ほどあります。「知らない」という未熟さがいかに無責任で大変な事態を招くか骨身に染みましたから勉強も必死でやりました。
食中毒事件以後1年間は、休みなしで店にいる時間が月400時間を超えました。(社労士の立場から見るととんでもないことですが・・。)バックヤードを増築したり、ご近所さん2000件ほどへ挨拶回りをしたり・・・そうして、半年後には当初予定していた売上高まで回復したのです。
そんなとき、会社の相談役をされていたコンサルタントの先生が「脳力開発なるものをやってみたぞ。お前たちにも教えるからしっかり勉強せい」と言われました。それが、この「突破のための人間学」です。
この人間学を学ぶうちに、社長と語り明かしたあの日に私の精神的姿勢が「他人だよりの姿勢から主体的な姿勢」に変わったのだということがわかりました。
「他人だよりの姿勢」というのは、まずいことはいつも他人のせいにして相手をバカにします。その上、周囲をだめにするような不平や愚痴をいつまでもたらたらとこぼします。そして、自らは状況改善に向けて動きませんから、結果としてバカにしているはずの相手に流されて行きます。そうやって更に不平や不満だらけの人生を続けることになるのです。
不平や不満があるのはあたり前です。愚痴ってもかまいません。でも、あなたの不快で困難な状況を変えるために立ち上がることができるのは、あなた自身をおいて他にはいないのです。
さあ、皆さん、勇気を持って立ち上がってください!!