人間力研究
第7回 「自分のフツウ」と「他人のフツウ」と「人間力」
私って、どんな人?
だれにでも、その人にとってのフツウがあります。その人にとって当然すぎるほど当然のフツウの感覚(感じ方、考え方、ものの見方・捉え方、性格など)のことです。
さて、このフツウの感覚、あなたにとってはどんな感覚でしょうか?
「・・・・?」
すぐに答えられる人は、人生の達人です。
多くの人にとって「自分のフツウ」はあまりにフツウ過ぎてわからない感覚です。空気のように察知できない無意識の感覚なのです。
たとえば、あなたが指示されたとおりきちんと仕事をやっているにもかかわらず上司や取引先から「何やってるんだ!早く仕事をかたづけろよ!あんた、のろまだな!」などと叱責されたとしましょう。こんなとき、あなたはフツウどんな状態になりますか?
Aさんは怒りがマグマのようにわき上がってきて、「このやろう、勝手なこと言いやがって、ぶち殺してやろうか!」と敵意を丸出しにします。
Bさんは少し狼狽するものの「何かまずいことがありましたか?どうしたのですか?」と叱責された原因を考えます。
Cさんは恐怖のあまり顔を真赤にして「すいません、すいません!」と訳もわからず謝り続けます。
DさんやEさんは別の反応を示すかもしれません。みんな無意識に自分のフツウの感覚で対処しているのです。
このように、同じ状況下でも人によってその感じ方、対処の仕方が変わってきます。その人が持っているフツウの感覚が異なるからです。しかも、その「フツウの感覚」は、あなたが考えている以上に大きく異なります。
多くの人は、日常の小さな習慣から様々な場面での自分の反応、人生戦略に至るまで人生に関わる大部分が「無意識の自分のフツウの感覚」に支配されていることに気づきません。
しかし同時に多くの人は、その人なりに「他人のフツウ」を感じる取ることができます。たとえば上記の例でいえば「Aさんは激しい性格でけんかを恐れない強い人。Bさんは理性的で淡々と問題解決できる人。Cさんは気の毒なくらい臆病な人。」というように。
そうです。自分では「自分のフツウ」がよくわからないのです。人生を長くやっていれば少しは「自分のフツウ」の傾向に気づくこともあるでしょう。しかし、時と場所を変えていつでも同じパターンを繰り返す「自分のフツウ」の根源に気づいて、人生をより良い方向に修正していける人は限られるのです。
人間力をより高めるということは、この「自分のフツウ」がどんなものであるのか、どんな感覚であるのかを、まずは他人の感覚を介して自分自身が気づくことから始まります。良いか悪いかではありません。
そうして、自己防衛のための無意識のこだわりを一つずつ手放しながら、階段を一歩ずつ上ることにほかなりません。
さあ、あなたにとって「自分のフツウ」とはどんなものなのでしょうか? 勇気を持って、何人か信頼できる人に訊いてみましょう。